2013年01月07日
♪ ピラビタール~さよなら ぼくの ともだち / 森田童子
森田童子
学園闘争が吹き荒れる時代に、高校生で東京教育大学の学生運動と交流があった。
高校を中退し、気ままな生活を送っていたが、20歳の時、友人の死をきっかけに歌い始める。
この亡くなった友人をモチーフにした曲がデビュー曲となる「さよならぼくのともだち」である。
1975年、アルバム「グッドバイ」、シングル「さよならぼくのともだち」でデビューし、以後主にライブハウスを中心に活動。
1983年までにアルバム7枚、シングル4枚をリリースし、同年の新宿ロフトでのライブを最後に、引退を宣言することなく活動を休止する。
レコーディングの編曲、演奏はアコースティックギターの第一人者石川鷹彦が担当した。
カーリー・ヘアにサングラスというスタイルで、コンサートはもちろんレコードのジャケットなどでも素顔を見せることはなかった。
本名は非公開、実生活についてもほとんど公表せず、作詞した歌詞の内容もありのままの実体験ではなく願望を投影したものであるとしており、普段も寡黙で、独特の世界観を表現した作品に自分の生活感を滲ませることを避けていたとされる。
♪ ピラビタール~さよなら ぼくの ともだち / 森田童子 (スタジオライブ)
(エフエム愛知?1978年くらい?)
学園闘争が吹き荒れる時代に、高校生で東京教育大学の学生運動と交流があった。
高校を中退し、気ままな生活を送っていたが、20歳の時、友人の死をきっかけに歌い始める。
この亡くなった友人をモチーフにした曲がデビュー曲となる「さよならぼくのともだち」である。
1975年、アルバム「グッドバイ」、シングル「さよならぼくのともだち」でデビューし、以後主にライブハウスを中心に活動。
1983年までにアルバム7枚、シングル4枚をリリースし、同年の新宿ロフトでのライブを最後に、引退を宣言することなく活動を休止する。
レコーディングの編曲、演奏はアコースティックギターの第一人者石川鷹彦が担当した。
カーリー・ヘアにサングラスというスタイルで、コンサートはもちろんレコードのジャケットなどでも素顔を見せることはなかった。
本名は非公開、実生活についてもほとんど公表せず、作詞した歌詞の内容もありのままの実体験ではなく願望を投影したものであるとしており、普段も寡黙で、独特の世界観を表現した作品に自分の生活感を滲ませることを避けていたとされる。
♪ ピラビタール~さよなら ぼくの ともだち / 森田童子 (スタジオライブ)
(エフエム愛知?1978年くらい?)
Posted by 蛇足 鈍也 DONYA at 10:05│Comments(0)
│日本のフォークシンガー