2016年02月02日

♪ 春うらら / 田山雅充

田山 雅充(たやま まさみつ、1948年12月2日 - )

♪ 春うらら / 田山雅充

フォークシンガー。東京都目黒区生まれ。

歌手デビューは1974年、コーラスグループ「赤い花」のメインボーカリストとして、当時の資生堂キャンペーンソング『赤い花みつけた』(ポール・ウィリアムスオリジナルの日本語訳詞曲)をキャニオンレコード(現ポニーキャニオン)からリリース。
そのB面の『今愛の中で』(中里綴・作詞)では作曲を手掛けた。
またこのグループには新生五つの赤い風船メンバーでもある青木まり子も在籍。

その後、同じキャニオンレードより男女デュオ「たやまと夕子」でシングル『雨の交差点』、アルバム『暮れそで暮れない黄昏どきは』をリリース。
このアルバムがCBSソニーの当時のディレクターだった酒井政利が注目。
このアルバムに収録されていた曲『人恋しくて』が南沙織の楽曲ともなり(この曲は、前述の『今愛の中で』と同じ中里綴・作詞、田山作曲によるもの)、この曲は1975年の第17回日本レコード大賞歌唱賞受賞曲となった。

1977年には「NHKフォーク・フェスティバル」に“時代を象徴するミュージシャン4名”に選出され出演。
共演はハイファイセット、大橋純子、松任谷由実。当日の模様はテレビ・FMでも放映された。
また1976 - 1978年にかけては、ラジオ関東(現アール・エフ・ラジオ日本)の深夜番組「真夜中のコーヒーブレイク」のパーソナリティーを作詞家の中里綴と共に務めていた。
また、NHKの「連想ゲーム」のレギュラー解答者として出演していた時期もあった。

しかし、その後、所属レコード会社制作サイド内での覇権争いの犠牲となり、制作の完成したアルバム発売が見送られたり、担当プロデューサーが刑事事件(この事件でコンビを組んでいた作詞家中里綴が他界)を起すなど不運が度重なった。
結果、1980年代以降、表舞台では姿を見る機会が殆どなくなっていた。

そのような中でも、劇団第7病棟女優の田所陽子との“作詞(田所)作曲(田山)ユニット「HIP」”の自主制作アルバムをリリース(1989年)するなど、地道な創作活動は継続。
引き続きNHK「おかあさんといっしょ」への作品提供も行われていた。

そして2004年、歌手活動再開を決意。
旧友のミュージシャン濱田金吾(元クラフト)らの音楽的支援を受け、活動を再開。
東京・名古屋・沖縄(石垣島)などで定期的にライブ活動を行っている。

2005年、そのライブ会場(第1回銀座モナリザライブ)で、田山は「春うらら」の作詞者である最首としみつと20数年振りに再会。
それ以降、二人による新作がライブでも発表されている。
その新作のひとつである「カラス」は青木まり子のニューアルバムにも収録されている。

2015年より徳島県の古民家に移住し、精力的に活動を続けている。

♪ 春うらら / 田山雅充


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Posted by 蛇足 鈍也 DONYA at 09:11│Comments(0)日本のフォークシンガー
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