2013年04月21日
♪ 遠くへ行きたい / ジェリー藤尾
ジェリー藤尾(ジェリーふじお、1940年6月26日 - )

日本の歌手、俳優、タレント。
オフィスキコ所属。代表曲は『遠くへ行きたい』(作詞:永六輔、作曲:中村八大)。専修大学附属京王高等学校中退。
ジェリー藤尾は芸名で、本名・藤尾薫紀の日本人である。
母はイギリス人で間違いないが、戸籍の母の欄にはジェリー自身全く知らない日本人の女性の名前が記されているという。
本人は日本人エンターテイナーとして高いプライドを持っており、日本語を大切にしないJ-POPに対しては否定的である。
1940年に高知県出身でNHKアナウンサーの父・藤尾薫宏とイギリス人の母・オリビア・ヒース・ゴンザレスのもと、中華民国上海の日本租界で生まれる。
当地で第二次世界大戦の終戦を迎え1946年に家族で日本へ引き揚げるものの、上海では家族のみならず外国人居留地においても英会話のみで生活していたため、帰国後の薫紀と母は言葉の壁や外見から謂れなき差別を受ける。
特に母の心労は深刻で、知り合いのいない地での孤独を紛らわすためアルコール依存症に陥り、薫紀が中学1年生の時に、台所で吐血しウィスキー瓶を握り締めたまま死亡。
学校から帰宅した薫紀は、その姿を目撃してしまう。
家庭を顧みる余裕をなくした父によって生活は崩壊、深く傷ついたジェリーは新宿など夜の繁華街で荒んだ生活を送り愚連隊の用心棒を務めるまでになっていた。
ヤクザすら道を譲るほど喧嘩に明け暮れていたが、次第に音楽への道を志すようになり1957年にバンドボーイとして出入りしていたジャズ喫茶でエルヴィス・プレスリーの『ハウンド・ドッグ』を飛び入りで歌ったところ、これが所以でスカウトされ芸能界へ入る事となる。
1958年に高校を中退して日劇のウエスタンカーニバルで初舞台を踏み、俳優としては1959年の『檻の中の野郎たち』、歌手としては1961年に『悲しきインディアン』でデビュー。
翌1962年にNHKの人気番組『夢であいましょう』へ出演すると共に発売された『遠くへ行きたい』が大ヒットして一躍人気者となり、クイズ番組などへも活躍の場を広げた。
その後、女優・タレントの渡辺トモコ(現・渡辺友子)と結婚し、二児をもうけた(後に長女は『極道ステーキ』、次女は『セーラー服反逆同盟』などへ出演し女優として活動)。
家族で『オールスター家族対抗歌合戦』などのテレビ番組や1974年からはトヨタ・カローラのCMへ出演して円満な芸能人一家として広く知られていた。
しかし、1986年に離婚。
離婚の際、元・妻から女性週刊誌などでスキャンダルを暴露され、ワイドショーで総スカンされたのを期にテレビ番組へは出演しなくなり、いわゆる表舞台から姿を消す事となった。
このことに関してジェリー本人は多くを語らなかったが2010年にインタビューで妻の男性関係が原因だったことを認めた。
その後はリサイタルやディナーショーを中心に幅広く活動し、福祉活動に尽力していることでも知られる。
芸能人はテレビなどに出演する際にメーキャップする事が当然のように求められるがジェリー藤尾は大のメーキャップ嫌いで知られる。
本人曰く「顔にものを塗られると息が詰まる」との事。
この理由により今までどうしても必要な場合「たとえば酔っ払いの役で赤ら顔にする必要がある時など」を除いてメーキャップした事がない。
♪ 遠くへ行きたい / ジェリー藤尾

日本の歌手、俳優、タレント。
オフィスキコ所属。代表曲は『遠くへ行きたい』(作詞:永六輔、作曲:中村八大)。専修大学附属京王高等学校中退。
ジェリー藤尾は芸名で、本名・藤尾薫紀の日本人である。
母はイギリス人で間違いないが、戸籍の母の欄にはジェリー自身全く知らない日本人の女性の名前が記されているという。
本人は日本人エンターテイナーとして高いプライドを持っており、日本語を大切にしないJ-POPに対しては否定的である。
1940年に高知県出身でNHKアナウンサーの父・藤尾薫宏とイギリス人の母・オリビア・ヒース・ゴンザレスのもと、中華民国上海の日本租界で生まれる。
当地で第二次世界大戦の終戦を迎え1946年に家族で日本へ引き揚げるものの、上海では家族のみならず外国人居留地においても英会話のみで生活していたため、帰国後の薫紀と母は言葉の壁や外見から謂れなき差別を受ける。
特に母の心労は深刻で、知り合いのいない地での孤独を紛らわすためアルコール依存症に陥り、薫紀が中学1年生の時に、台所で吐血しウィスキー瓶を握り締めたまま死亡。
学校から帰宅した薫紀は、その姿を目撃してしまう。
家庭を顧みる余裕をなくした父によって生活は崩壊、深く傷ついたジェリーは新宿など夜の繁華街で荒んだ生活を送り愚連隊の用心棒を務めるまでになっていた。
ヤクザすら道を譲るほど喧嘩に明け暮れていたが、次第に音楽への道を志すようになり1957年にバンドボーイとして出入りしていたジャズ喫茶でエルヴィス・プレスリーの『ハウンド・ドッグ』を飛び入りで歌ったところ、これが所以でスカウトされ芸能界へ入る事となる。
1958年に高校を中退して日劇のウエスタンカーニバルで初舞台を踏み、俳優としては1959年の『檻の中の野郎たち』、歌手としては1961年に『悲しきインディアン』でデビュー。
翌1962年にNHKの人気番組『夢であいましょう』へ出演すると共に発売された『遠くへ行きたい』が大ヒットして一躍人気者となり、クイズ番組などへも活躍の場を広げた。
その後、女優・タレントの渡辺トモコ(現・渡辺友子)と結婚し、二児をもうけた(後に長女は『極道ステーキ』、次女は『セーラー服反逆同盟』などへ出演し女優として活動)。
家族で『オールスター家族対抗歌合戦』などのテレビ番組や1974年からはトヨタ・カローラのCMへ出演して円満な芸能人一家として広く知られていた。
しかし、1986年に離婚。
離婚の際、元・妻から女性週刊誌などでスキャンダルを暴露され、ワイドショーで総スカンされたのを期にテレビ番組へは出演しなくなり、いわゆる表舞台から姿を消す事となった。
このことに関してジェリー本人は多くを語らなかったが2010年にインタビューで妻の男性関係が原因だったことを認めた。
その後はリサイタルやディナーショーを中心に幅広く活動し、福祉活動に尽力していることでも知られる。
芸能人はテレビなどに出演する際にメーキャップする事が当然のように求められるがジェリー藤尾は大のメーキャップ嫌いで知られる。
本人曰く「顔にものを塗られると息が詰まる」との事。
この理由により今までどうしても必要な場合「たとえば酔っ払いの役で赤ら顔にする必要がある時など」を除いてメーキャップした事がない。
♪ 遠くへ行きたい / ジェリー藤尾
Posted by 蛇足 鈍也 DONYA at 08:35│Comments(0)
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