2013年05月21日
♪ 花咲く旅路 / 原由子
原 由子(はら ゆうこ、1956年12月11日 - )
日本のミュージシャン・キーボーディスト・歌手・シンガーソングライターであり、サザンオールスターズのメンバーである。
本名、桑田 由子(くわた ゆうこ)旧姓、原。愛称は、原坊(ハラボー)。
夫はサザンオールスターズのリーダーである桑田佳祐で、桑田との間に2男あり。
なお、桑田からは、お母さん、お母ちゃん、ゆうこりんと呼ばれることがある。
神奈川県横浜市内の横浜市立本町小学校、吉田中学校を卒業後、高校入学と同時にフェリス女学院高等学校に編入、卒業。青山学院大学文学部英米文学科卒業。
フェリス在学中に、友人とフォークデュオ「ジェロニモ」を組んでボーカル・ギター担当で活動する。
大学入学後もジェロニモは続けていた。ジェロニモの名前の由来は、「男らしくて力強い名前」であり、また原は「ジェロニモを結成してから、私の高校生活は明るいものになっていった」と当時を述懐している。
大学入学後、桑田佳祐、関口和之らが所属していたサークル『BETTER DAYS』に入り、桑田らのバンドにもピアノの技術を買われて参加する。
原が桑田に抱いた第一印象は「なんとなくいじめっ子ぽかった」「こんなにわかりやすい人と結婚するとは、夢にも思わなかった」とのこと。
しかし、桑田がクリームやディープパープルを歌うのに聞き惚れた。
一方、桑田は、原がピアノでエリック・クラプトンの「いとしのレイラ」を演奏する腕前に心底驚いた。
1979年、桑田が原に「ずっと一緒にいよう!」と告白して、その数日後に原に電話口から聴かせた曲が「いとしのエリー」であった。
在学中にサザンオールスターズとして「勝手にシンドバッド」でデビュー。
キーボードの他、『私はピアノ』『そんなヒロシに騙されて』『鎌倉物語』などではリードボーカルも務めている。
初期を除き、サザンのアルバムでは1曲ずつ原がボーカルを取るのが通例となっている。
近年は、シングルのカップリング曲でもボーカルを担当。
ピアノは幼少時から習い、洋楽は兄の影響もありエルトン・ジョン、ビリー・ジョエル、レオン・ラッセル、エリック・クラプトン他、ブルースを特に好んで聴いていた。
ピアノもブルースやサザン・ロックを意識した泥臭いプレイを信条としており、原自身「ピアノを弾く時は男のつもりで弾いている」と語っており、桑田も「時々オッサンがピアノ弾いてるように錯覚する」と語っている。
コブシを効かせた美空ひばりを彷彿とさせる昭和歌謡・グループ・サウンズ風の歌い回しから、ポップス調の曲での柔和な歌唱まで幅広く聴かせる。
サザンでの活動がメインのため一歩引いた印象があるものの、その歌声は松任谷由実や竹内まりやなどと共にニューミュージック界を代表する女性ボーカリストの1人として挙げられる。
公で披露することは少ないが、アコースティック・ギターの演奏にも長けており、特にスリーフィンガー・ピッキング、アルペジオについては桑田が「俺より上手い」と語っている。
ギターを弾くことが少ない理由として、原は「指先の硬さが変わってしまうのでピアノとギターを両立させるのが難しい」と語っているが、サザンのライブ(1995年『Hotal California』の「チャコの海岸物語」など)や単独のイベント出演などで何度か演奏したこともある。
2009年5月18日放送の「桑田佳祐の音楽寅さん」では、テレビでは珍しくギターを演奏し、そのテクニックを披露した。
ソロ作品も数年置きのペースでリリースしており、『恋は、御多忙申し上げます』『あじさいのうた』『花咲く旅路』など、多くのヒット曲を残している。
ソロ作品のリリースに合わせ、単独でCMや音楽番組への出演もしている。
1991年には、「第42回NHK紅白歌合戦」への単独出場を果たした。
ソロでは、サザンではあまり見せない「女性らしさ」や「可愛らしさ」を前面に押し出した曲がメインである。
サザンのメンバーは皆そうであるが、コメディアン的な才能もあり、萩原健太は、「サザンの勝手にナイト」の原について評価し、桑田と「原由子コメディアン転向説」について語っていた。
ソロ名義でのライブは、1981年の学園祭ツアーと1991年のホールツアーの2回のみと少ないものの、1997年のAAAでの谷村有美との共演、1998年と2003年のBEGINのライブへのゲスト出演、1999年に大阪城ホールで行われた、母親達へ送るイベント『MOTHER`S LOVE』への出演など、ゲストとしてイベントへ単独出演し、ソロ曲を披露している。
実家の家業として、横浜関内駅前の天ぷら屋「天吉(てんきち)」を営んでいることでも有名で、数多くのファンが訪れている。
サザンの初期の楽曲「今宵あなたに」の中でこの店のことが歌われている。しかしながら原自身は、エビ天を食べるとじんま疹が出るらしい(桑田は、2008年のライブ『真夏の大感謝祭』のメンバー紹介の際に、『エビのたたり』と発言している)。
桑田のレギュラーラジオ番組『桑田佳祐のやさしい夜遊び』では年1回、新年1回目の放送にゲスト出演するのが恒例となっている。
2人揃ったトークが公で聴くことが出来る数少ない機会で、放送ではおしどり夫婦ならではの飾らない、ほのぼのしたトークが魅力である。
2007年8月8日に発売の竹内まりやの新曲「チャンスの前髪」にゲストボーカルとして参加、さらに11月7日には風味堂とのスペシャルユニット「ハラフウミ(原由子×風味堂)」として新曲「夢を誓った木の下で」を共作した。
同時に映画『リトル・レッド レシピ泥棒は誰だ!?』日本語主題歌として制作された「大好き!ハッピーエンド」も収録されている。
原がコラボレートシングルを発売するのは「みんないい子」以来10年ぶりで、サザン系列以外のバンドとの共演は初となった。
2009年4月3日から朝日新聞夕刊にて隔週金曜日にコラム「あじわい夕日新聞」を連載しているが、2010年8月9日付けで桑田の治療のサポートに専念するという理由で一時休載。
桑田の復帰後の2011年1月から再開している。
♪ 花咲く旅路 / 原由子
日本のミュージシャン・キーボーディスト・歌手・シンガーソングライターであり、サザンオールスターズのメンバーである。
本名、桑田 由子(くわた ゆうこ)旧姓、原。愛称は、原坊(ハラボー)。
夫はサザンオールスターズのリーダーである桑田佳祐で、桑田との間に2男あり。
なお、桑田からは、お母さん、お母ちゃん、ゆうこりんと呼ばれることがある。
神奈川県横浜市内の横浜市立本町小学校、吉田中学校を卒業後、高校入学と同時にフェリス女学院高等学校に編入、卒業。青山学院大学文学部英米文学科卒業。
フェリス在学中に、友人とフォークデュオ「ジェロニモ」を組んでボーカル・ギター担当で活動する。
大学入学後もジェロニモは続けていた。ジェロニモの名前の由来は、「男らしくて力強い名前」であり、また原は「ジェロニモを結成してから、私の高校生活は明るいものになっていった」と当時を述懐している。
大学入学後、桑田佳祐、関口和之らが所属していたサークル『BETTER DAYS』に入り、桑田らのバンドにもピアノの技術を買われて参加する。
原が桑田に抱いた第一印象は「なんとなくいじめっ子ぽかった」「こんなにわかりやすい人と結婚するとは、夢にも思わなかった」とのこと。
しかし、桑田がクリームやディープパープルを歌うのに聞き惚れた。
一方、桑田は、原がピアノでエリック・クラプトンの「いとしのレイラ」を演奏する腕前に心底驚いた。
1979年、桑田が原に「ずっと一緒にいよう!」と告白して、その数日後に原に電話口から聴かせた曲が「いとしのエリー」であった。
在学中にサザンオールスターズとして「勝手にシンドバッド」でデビュー。
キーボードの他、『私はピアノ』『そんなヒロシに騙されて』『鎌倉物語』などではリードボーカルも務めている。
初期を除き、サザンのアルバムでは1曲ずつ原がボーカルを取るのが通例となっている。
近年は、シングルのカップリング曲でもボーカルを担当。
ピアノは幼少時から習い、洋楽は兄の影響もありエルトン・ジョン、ビリー・ジョエル、レオン・ラッセル、エリック・クラプトン他、ブルースを特に好んで聴いていた。
ピアノもブルースやサザン・ロックを意識した泥臭いプレイを信条としており、原自身「ピアノを弾く時は男のつもりで弾いている」と語っており、桑田も「時々オッサンがピアノ弾いてるように錯覚する」と語っている。
コブシを効かせた美空ひばりを彷彿とさせる昭和歌謡・グループ・サウンズ風の歌い回しから、ポップス調の曲での柔和な歌唱まで幅広く聴かせる。
サザンでの活動がメインのため一歩引いた印象があるものの、その歌声は松任谷由実や竹内まりやなどと共にニューミュージック界を代表する女性ボーカリストの1人として挙げられる。
公で披露することは少ないが、アコースティック・ギターの演奏にも長けており、特にスリーフィンガー・ピッキング、アルペジオについては桑田が「俺より上手い」と語っている。
ギターを弾くことが少ない理由として、原は「指先の硬さが変わってしまうのでピアノとギターを両立させるのが難しい」と語っているが、サザンのライブ(1995年『Hotal California』の「チャコの海岸物語」など)や単独のイベント出演などで何度か演奏したこともある。
2009年5月18日放送の「桑田佳祐の音楽寅さん」では、テレビでは珍しくギターを演奏し、そのテクニックを披露した。
ソロ作品も数年置きのペースでリリースしており、『恋は、御多忙申し上げます』『あじさいのうた』『花咲く旅路』など、多くのヒット曲を残している。
ソロ作品のリリースに合わせ、単独でCMや音楽番組への出演もしている。
1991年には、「第42回NHK紅白歌合戦」への単独出場を果たした。
ソロでは、サザンではあまり見せない「女性らしさ」や「可愛らしさ」を前面に押し出した曲がメインである。
サザンのメンバーは皆そうであるが、コメディアン的な才能もあり、萩原健太は、「サザンの勝手にナイト」の原について評価し、桑田と「原由子コメディアン転向説」について語っていた。
ソロ名義でのライブは、1981年の学園祭ツアーと1991年のホールツアーの2回のみと少ないものの、1997年のAAAでの谷村有美との共演、1998年と2003年のBEGINのライブへのゲスト出演、1999年に大阪城ホールで行われた、母親達へ送るイベント『MOTHER`S LOVE』への出演など、ゲストとしてイベントへ単独出演し、ソロ曲を披露している。
実家の家業として、横浜関内駅前の天ぷら屋「天吉(てんきち)」を営んでいることでも有名で、数多くのファンが訪れている。
サザンの初期の楽曲「今宵あなたに」の中でこの店のことが歌われている。しかしながら原自身は、エビ天を食べるとじんま疹が出るらしい(桑田は、2008年のライブ『真夏の大感謝祭』のメンバー紹介の際に、『エビのたたり』と発言している)。
桑田のレギュラーラジオ番組『桑田佳祐のやさしい夜遊び』では年1回、新年1回目の放送にゲスト出演するのが恒例となっている。
2人揃ったトークが公で聴くことが出来る数少ない機会で、放送ではおしどり夫婦ならではの飾らない、ほのぼのしたトークが魅力である。
2007年8月8日に発売の竹内まりやの新曲「チャンスの前髪」にゲストボーカルとして参加、さらに11月7日には風味堂とのスペシャルユニット「ハラフウミ(原由子×風味堂)」として新曲「夢を誓った木の下で」を共作した。
同時に映画『リトル・レッド レシピ泥棒は誰だ!?』日本語主題歌として制作された「大好き!ハッピーエンド」も収録されている。
原がコラボレートシングルを発売するのは「みんないい子」以来10年ぶりで、サザン系列以外のバンドとの共演は初となった。
2009年4月3日から朝日新聞夕刊にて隔週金曜日にコラム「あじわい夕日新聞」を連載しているが、2010年8月9日付けで桑田の治療のサポートに専念するという理由で一時休載。
桑田の復帰後の2011年1月から再開している。
♪ 花咲く旅路 / 原由子
Posted by 蛇足 鈍也 DONYA at 10:31│Comments(0)
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