2015年09月21日
♪ 市民病院 / 藤村直樹
藤村直樹(ふじむら なおき、1948年2月19日 - 2010年4月27日)

香川県出身のシンガーソングライター、医師。
総合病院に呼吸器内科の専門医として勤務。
高田渡の相談医としても知られる
1960年代後半の関西フォークの黎明期から、高石ともやを師とし、和歌山県立医科大学入学後、「フォークキャンプ」に参加。
「フォークキャンプ」から生まれた音楽ユニット「フォークキャンパーズ」(中川五郎、長野隆、勝木徹芳、村田真、桝井耕一郎、金延幸子、西岡恭蔵ら)のリーダー的存在だった。
小松民雄、勝木徹芳、村田真が参加した「なれあいシンガーズ」の一員として音源を残している。
第4回関西フォークキャンプ打ち上げコンサート(1969年8月17日、京都市の円山公園野外音楽堂)で歌った「町工場のブルース」でソロシンガーとして注目を浴びるが、単独でのレコードデビューはなく、1971年、医学に専念するため和歌山に戻る。
しかし、フォークへの意欲は衰えず、「和歌山フォーク村」を結成。
ラジオ、テレビに出演。
1973年、中島光一、ひがしのひとしとのライブ盤のLP「十年目のごあいさつ 1973」を自主制作。
その後、医学の研究や仕事が多忙な関係から長らく音楽活動から疎遠になる。
1999年7月10日、高石ともや、高田渡、豊田勇造、中川五郎、中山ラビ、中川イサト、遠藤賢司ら往年のフォークキャンプ参加者に呼びかけて、京都市の円山公園音楽堂で「京都フォークキャンプコンサート」を開く。
2003年8月、ひがしのひとし・古川豪・宮里ひろし・中川五郎・オクノ修などとオムニバスアルバムのフォークパルチザン『瓶の中の球体』、同年10月、「町工場のブルース」の過去の音源を収録したオムニバス・アルバム「関西フォークの歴史 1966-1974 」がリリースされる。
2004年2月、ひがしのひとし、小暮はならのサポートを受けて、紙ジャケット仕様のファーストアルバム「逃避行 - めりけんじゃっぷの放浪綺譚」、2006年11月、初期作品を集めた『アーリーデイズ - 藤村直樹メモワール』をリリース。
医師の仕事をこなしながら、「ウイークエンド・シンガー」を自称し、週末、祝日を利用して、ライブ活動を開始。
♪ 市民病院 / 藤村直樹

香川県出身のシンガーソングライター、医師。
総合病院に呼吸器内科の専門医として勤務。
高田渡の相談医としても知られる
1960年代後半の関西フォークの黎明期から、高石ともやを師とし、和歌山県立医科大学入学後、「フォークキャンプ」に参加。
「フォークキャンプ」から生まれた音楽ユニット「フォークキャンパーズ」(中川五郎、長野隆、勝木徹芳、村田真、桝井耕一郎、金延幸子、西岡恭蔵ら)のリーダー的存在だった。
小松民雄、勝木徹芳、村田真が参加した「なれあいシンガーズ」の一員として音源を残している。
第4回関西フォークキャンプ打ち上げコンサート(1969年8月17日、京都市の円山公園野外音楽堂)で歌った「町工場のブルース」でソロシンガーとして注目を浴びるが、単独でのレコードデビューはなく、1971年、医学に専念するため和歌山に戻る。
しかし、フォークへの意欲は衰えず、「和歌山フォーク村」を結成。
ラジオ、テレビに出演。
1973年、中島光一、ひがしのひとしとのライブ盤のLP「十年目のごあいさつ 1973」を自主制作。
その後、医学の研究や仕事が多忙な関係から長らく音楽活動から疎遠になる。
1999年7月10日、高石ともや、高田渡、豊田勇造、中川五郎、中山ラビ、中川イサト、遠藤賢司ら往年のフォークキャンプ参加者に呼びかけて、京都市の円山公園音楽堂で「京都フォークキャンプコンサート」を開く。
2003年8月、ひがしのひとし・古川豪・宮里ひろし・中川五郎・オクノ修などとオムニバスアルバムのフォークパルチザン『瓶の中の球体』、同年10月、「町工場のブルース」の過去の音源を収録したオムニバス・アルバム「関西フォークの歴史 1966-1974 」がリリースされる。
2004年2月、ひがしのひとし、小暮はならのサポートを受けて、紙ジャケット仕様のファーストアルバム「逃避行 - めりけんじゃっぷの放浪綺譚」、2006年11月、初期作品を集めた『アーリーデイズ - 藤村直樹メモワール』をリリース。
医師の仕事をこなしながら、「ウイークエンド・シンガー」を自称し、週末、祝日を利用して、ライブ活動を開始。
♪ 市民病院 / 藤村直樹
Posted by 蛇足 鈍也 DONYA at 09:13│Comments(0)
│日本のフォークシンガー