2014年04月06日

♪ 琥珀色の想い出 / あみん

あみん

♪ 琥珀色の想い出 / あみん

岡村孝子と、加藤晴子の2人による音楽グループ。アルファベット表記は「Aming」。

歌うときは、向かって左側に岡村、右側に加藤が立つ(コンサートでは曲目によって立ち位置が入れ替わることもある)。
岡村の歌う主旋律に加藤がハーモニーを加える曲が多い。

1980年代前半にシングル4枚とオリジナルアルバム2枚をリリースののち活動休止、2007年に活動を再開した。

岡村孝子と加藤晴子は、名古屋市の椙山女学園大学の同級生として知り合った。
岡村は愛知県立岡崎北高等学校を卒業して1浪後に入学、加藤は愛知県立小坂井高等学校を卒業後に現役で入学しており、2人は1歳違いである。
岡村が大学の教室内で履修届を書く際に、前の席に座っていた加藤の背中をペンでつついて書き方を尋ねた(もしくはペンでつついて消しゴムを貸してもらった)のが2人の出逢ったきっかけである(『ザ・ベストテン』での2人の談)。

2人は意気投合して、デュオを結成することになった。
デュオ名は、さだまさしの楽曲「パンプキン・パイとシナモン・ティー」(1979年、アルバム『夢供養』収録)に登場する喫茶店「安眠(あみん)」から採った。
当初は「亜未夢」という漢字を当てていたものの「あくむ」などと誤読されることが多かったため、
平仮名表記に変えた(さだが喫茶店の名前にした「安眠」の由来は、ウガンダの独裁者イディ・アミンである)。

1981年秋、あみんは第22回ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)に「琥珀色の想い出」で出場し、中部北陸大会で優秀曲賞を受賞した。
だが本選(全国大会)へは進めずじまいに終わった。
ちなみに、このとき同じブロックからアラジンの「完全無欠のロックンローラー」が本選に進み、グランプリを獲得した。

1982年春、第23回ポプコンに「待つわ」で出場、5月16日の本選に進出、グランプリを獲得した。
同年7月21日、「待つわ」で日本フォノグラムよりレコードデビューした。
楽曲が多大なる共感を得て、デュエットによるハーモニーの新鮮さや清潔感と相まって同年のトップセールスを記録するほどの大ヒットとなる。
あまりの有名さと分刻みのスケジュールで、大学の授業に出ると教授から「芸能人は来るな」と教室を追い出されたというエピソードもあった。
同年12月31日には『第33回NHK紅白歌合戦』に出場した。

1983年4月25日、1枚目のアルバム『P.S. あなたへ…』をリリースした。他のアーティストからの提供曲も歌わせたいというレコード会社側の意向と、できるだけ多く自作曲を歌いたいという当人の意向が衝突し、当初は前年10月にリリースする予定だったものを延期して、あみん側の意向を通し、オリジナル曲中心の構成となった。
同年5月から全国6か所で初ツアーも行った。

しかし、この頃から活動をやめようという意見が出始める。
当時は「多忙さに伴う学業との両立問題」が理由とされていたものの、本当の理由は違うところにあることが後年になって明かされた。
2005年6月12日にNHK BS2で放映された岡村のライブ番組で、加藤がインタビューに答えたところによると、「自分の才能のなさから、音楽業界は自分の居場所ではないと思うようになった」ことが動機で、ただ当時の岡村には言えなかったため、学業との両立を口実に休止を切り出したとのことである。

結局、1983年12月18日、愛知県勤労会館のコンサートが最後の活動となった。
このコンサートがファイナルであることはあえて公表されず、翌々日の12月20日にリリースしたアルバム『メモリアル』をもって休止ということになっている。アルバム『メモリアル』は、前作とは対照的に、全曲がヤマハ音楽振興会所属・出身アーティストによる既発表曲のカバーであった。

岡村は大学を中退、ソロデビューして現在に至る。
なお、4枚のシングルを編曲した萩田光雄は岡村のソロ活動開始後も引き続き編曲を担当している。

加藤は大学を卒業後、上京してOLとして就職、のち結婚し、一般人の主婦として生活を送る。

岡村がソロデビューした後も、プライベートでは岡村・加藤の交流は続いていた。
しかし加藤の娘は長年、母親がかつて歌手としてヒット曲を出したことすら知らず、岡村からの電話を母親に取り次ぐことがあっても、相手が有名なシンガーソングライター「岡村孝子」だとは知らなかったという。

2002年、岡村のリクエストにより、デビュー20周年記念シングル『天晴な青空』にコーラスとして加藤が参加する。
同年9月6日、渋谷公会堂でおこなわれた岡村のコンサート「DO MY BEST」ツアー最終日のアンコールに加藤が登場し、あみんを一夜限りで再結成して「待つわ」を歌った。
ただし、当時から半音下げたキーによる演奏だった。
その模様は、岡村のライブDVD『Encore V 〜20th Anniversary Concert Tour, '02 DO MY BEST〜』に収録されている。

NHK『夢・音楽館』(2005年)で、岡村はあこがれのさだまさしと初共演した。
岡村はソロ時代は一切音楽番組の出演を断っていたが、さだの共演とのことで出演した。
同年の岡村のコンサートもNHKのBSで放送後、視聴者からDVD発売や再放送等の反響が大きくなった。
さらにこれが縁となり、さだとのコラボレーションによるシングル「銀色の少女」(2006年)が発表され、加藤との共演が再び実現した。
2006年12月16日、岡村のソロコンサート『Christmas Picnic』のアンコールで加藤が飛び入り出演し、あみんとしての活動を2007年より再開することが発表された。
結果、岡村のテレビでのさだとの出演が、あみん再結成のきっかけとなった。

2007年6月20日付けでBMG JAPAN(岡村が所属しているレーベルでもある)よりリリースのシングル「ひまわり/待つわ'07」(うち「待つわ'07」は、レコードデビュー曲の新録音)で活動を再開し、同年7月25日にはアルバム『In the prime』をリリース、これに続き同年8月24日から9月15日のコンサートツアー『25th Anniversary “Aming” Concert Tour 2007』を実施した。

同年7月11日にはまた、およそ25年ぶりに「あみん」としてNHK総合テレビの音楽番組『SONGS』に出演し、「夢をあきらめないで」「待つわ'07」「ひまわり」を歌った。
番組では、ライブだけでなく、母校である椙山女学園を訪問し、互いに宛てた手紙を披露するVTRも挿入され、ある時期から全く別の人生を歩いてきた2人が、さまざまな経験をして再び結成するまでの道のりを描いた。

同年12月19日、1980年代(活動休止前)の発表曲をまとめた『P.P.S. あなたへ…』(デジタル・リマスタリング音源)と、9月15日のコンサートを収録したライブDVD『25th Anniversary Aming Concert Tour 2007 In the prime 〜ひまわり〜』がリリースされた。
DVDには、『SONGS』に出演した際に歌唱収録されたままお蔵入りとなった「銀色の少女 〜あみんVersion〜」の映像がボーナストラックとして収録されている。

同年12月31日、『第58回NHK紅白歌合戦』に出場した。年明けに発表された個人別視聴率では、第1部の中で上位5組に入る好記録を達成した。

2008年以降もあみんとして活動中である。

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Posted by 蛇足 鈍也 DONYA at 08:01│Comments(0)日本のフォークデュオ
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