2015年08月06日

♪ ラブ・ストーリーは突然に / 小田和正

小田 和正(おだ かずまさ、1947年9月20日 - )

♪ ラブ・ストーリーは突然に / 小田和正

日本のニューミュージックシンガー、シンガーソングライター、音楽プロデューサー。
元オフコースのリーダーでボーカル。
株式会社ファー・イースト・クラブ (FAR EAST CLUB INC.) 代表取締役社長。
身長172cm。血液型はA型。

聖光学院卒業後、須藤は横浜市立大学、小田は地主とともに東北大学に進学、建築工学を専攻。聖光学院在学時に授業で建築模型を製作して以来建築に興味を抱いていた。
また、千葉大学医学部を受験しようとも思ったが、大学見学の際に消毒臭・カーテンの汚さに嫌気がさし、東北大学を選んだという。鈴木は東京工業大学に進学、離ればなれとなったが、仙台と横浜をお互いに頻繁に行き来し、音楽活動も続けていた。
後にグループは「ジ・オフ・コース」(後にオフコースと改名)と名付けられた。
1969年、アマチュア音楽活動にけじめをつけるために「ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に東北地区より出場。
東京でなく東北から出場したのは東京だとレベルが高い、東北のほうが勝ち抜きやすそうだからと考えたためだが、実際に出場してみると東北地区も大変レベルが高かったという。
それでも東北地区を1位で通過、全国大会に進出した。
全国大会は赤い鳥、フォー・シンガーズ(財津和夫のいたグループ)ら強敵がいたが、小田曰く「寝ててもできるくらい」猛練習を重ね、自信をもって臨んだにもかかわらず、1位は赤い鳥、オフコースは2位だった。
小田らは優勝して音楽活動にけじめをつけるつもりだったが、2位になったことで「このまま終われない」とプロの道を歩むことを決める。

しかし音楽一本に決めた鈴木、小田と鈴木の音楽性についていけず、建築家に進路を定めた地主に対し、小田は自分の道をまだ定められず、1971年早稲田大学大学院に進学、建築の研究も続ける一方で鈴木との音楽活動も続けていた。
その後徐々に気持ちは音楽に傾き、1976年大学院修了時は完全に音楽の道を選択することを決めていた。
修士論文のタイトルは「建築との訣別」(ただし、指導教授に「私的建築論」とタイトルを変更させられている)。

オフコースは数度のメンバー変遷を経て1972年より小田、鈴木の2人構成、後に清水仁、大間ジロー、松尾一彦を加えた5人構成となる。
数年間は売れない時代が続いたが、やがて、1970年代から1980年代にかけて次々とヒット曲を生み出し、時代を代表する人気グループとなった。
オフコースが発表したシングルのA面のほとんどは小田の曲であり、そのシンプルで、ストレートに愛を歌う歌詞とハイトーンの澄んだボーカルはオフコースの大きな特色であった。
オフコース時代のヒット曲には「さよなら」「Yes-No」「君が、嘘を、ついた」などがある。
1982年にはオフコースのオリジナルメンバーである鈴木康博の脱退に伴い一度は解散も考えたが、約1年の活動休止を経て4人で活動再開、1989年まで活動した。

1986年に初めてのソロシングル「1985」、初のソロアルバム『K.ODA』を発表。
オフコース時代からソロ活動を始めてはいたが、1989年のオフコース解散以後にソロ活動を本格化。

1991年、フジテレビ月9ドラマ『東京ラブストーリー』の主題歌として制作した楽曲「ラブ・ストーリーは突然に」が、ドラマと見事なコラボレーションを成し、ドラマ・主題歌共に大ヒット。
オフコース時代に叶わなかった、「オリコンシングルチャート第1位」と「シングルミリオンセラー突破」を一挙に成し遂げた。

その後は、ヒットメーカーとしての地位を確立し、楽曲はドラマ・CMなどに積極的に採用され、「伝えたいことがあるんだ」、「キラキラ」、「まっ白」などのヒット曲を生み出している。
また、オフコース時代を含む過去の楽曲を集め、新アレンジで再録音したセルフカヴァー・アルバム『LOOKING BACK』シリーズや『自己ベスト』は、幅広い年代に支持される大ヒットとなった。

1998年7月22日夜、愛車セルシオを自身で運転して事務所・関係者らとの恒例行事「DEATH MATCH」(ゴルフコンペ)開催のゴルフ場へ向かうため、栃木県都賀町の東北自動車道下り線を走行中、自損事故を起こし、全治4週間の重傷を負う。
現場付近は雨が降っており、80キロの速度規制が出されていたところを、約20キロオーバーの100キロ前後で走行しており、スリップしてコントロールを失い、ガードロープに接触した。
その衝撃で後部座席に飛ばされ、後部座席で横たわった形で救出される。
同乗者はいなかった。
幸いにも、後続車による追突や、横転、反対車線への飛び出しといったことがなかったため、一命を取りとめる。
約2週間の入院を経た後奇跡的な回復を見せ、同年9月12日、福岡県にある「海の中道」で行われた、スターダスト・レビューとのジョイントコンサートで、完治していない体だったが歌手活動に復帰した。

2005年にはオリジナルアルバム『そうかな』、2007年にはシングル「こころ」で、それぞれオリコンチャート週間1位を獲得。とかく過去の楽曲が注目・起用されがちな日本の同世代アーティストの中で、新曲で音楽シーンに存在感を示すことができる貴重な存在となっている。

CMとのタイアップや、他のアーティストへの楽曲提供や、コラボレーションも行うようになった。
また、初めて持ったテレビのレギュラー番組は大変な反響を呼んだ。

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Posted by 蛇足 鈍也 DONYA at 10:26│Comments(0)フォークとは言えないかも・・・
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