2016年01月29日
♪ カナリア諸島にて / 大瀧詠一
大瀧 詠一(おおたき えいいち、本名:大瀧 榮一、1948年7月28日 - 2013年12月30日)

日本のミュージシャン。
シンガーソングライター・作曲家・アレンジャー・音楽プロデューサー・レコードレーベルのオーナー・ラジオDJ・レコーディングエンジニア・マスタリングエンジニア・著述家、元Oo Records(現在は会社自体がない)取締役など、多くの顔を持つ。
娘婿は音楽プロデューサー・音楽評論家でバート・バカラック研究家の坂口修。
独自の音楽理論をもち、1990年代に隆盛を誇った渋谷系のように他ミュージシャンからの引用が多いのが特徴。
1950年代から1970年代にかけてのアメリカのポップス・ロック、イギリスのリバプールサウンド、日本の歌謡曲・演芸についての豊富な知識をもち、それらを駆使して制作される音楽トラックは、普通に聞こえても分析すると実は非常にマニアックであり、また、自作詞に関しては独特のおふざけが入っている。『ゴー・ゴー・ナイアガラ』時代にリスナーから「あなたには悩みというものがないのですか?」というハガキが送られてきたという。
なお、作品はおおまかに分けると、メロディタイプと言われる歌もの、ノベルティタイプと言われるサウンド偏重ものの2種類に分かれる。
楽曲のマニアックさを語る一例として、ある人が大瀧に「あの曲は3つの曲からの剽窃ですね」と訊ねると彼は「その3つとあと2曲の5曲から出来てるけど、君は3曲しかわからなかったんだ」と言い返したというジョーク(山下達郎がしばしばラジオでする話)や伊藤銀次がレコーディングに参加した際、有名曲のフレーズを音符を逆にして弾くのを強要されて唖然としたという。
なお、以上の経緯から「渋谷系のように過去の作品のいいところをつまみ食いしながら楽曲を作っている」と思われがちだが、本人曰く「最終的には+αのインスピレーションがないと曲が完成しない」とのことで、『EACH TIME』のレコーディング期には既にそのインスピレーションが尽きかけていたという。
発言に関しても独特のジョークが多々入っているのが特徴。ふざけているようで真面目だったり、真面目なようでふざけている発言を淡々とするタイプの人間であり、単純に発言を文字起こししてはいけない人物だった。
特に有名なのが「2001年ナイアガラの旅」に纏わるものであり、1984年に「ミュージック・ステディ」の大滝詠一特集で「1988年に『ナイアガラトライアングル Vol.3』、1989年に『ナイアガラカレンダー '89(復刻版)』、1991年にはソロでの新作『1991』でレコード番号も1991を予約。
1994年には『ナイアガラトライアングル Vol.4』、2000年に『ナイアガラトライアングルVol.5』、2001年に再びソロの新作として『2001年ナイアガラの旅』を発表、以上を予定している」という発言である。この発言を真に受けて泣いたファンは数多い。
1990年代までは同様の発言を繰り返していたが、大瀧本人にその気は全くなく、山下達郎等にいざ追及される側になると「予定は未定だからね」「それより君の作品はどうなの?」とはぐらかしたり、新曲と称してドラムのカウント部分だけをレコーディングしたものを放送したりしていた。
♪ カナリア諸島にて / 大瀧詠一

日本のミュージシャン。
シンガーソングライター・作曲家・アレンジャー・音楽プロデューサー・レコードレーベルのオーナー・ラジオDJ・レコーディングエンジニア・マスタリングエンジニア・著述家、元Oo Records(現在は会社自体がない)取締役など、多くの顔を持つ。
娘婿は音楽プロデューサー・音楽評論家でバート・バカラック研究家の坂口修。
独自の音楽理論をもち、1990年代に隆盛を誇った渋谷系のように他ミュージシャンからの引用が多いのが特徴。
1950年代から1970年代にかけてのアメリカのポップス・ロック、イギリスのリバプールサウンド、日本の歌謡曲・演芸についての豊富な知識をもち、それらを駆使して制作される音楽トラックは、普通に聞こえても分析すると実は非常にマニアックであり、また、自作詞に関しては独特のおふざけが入っている。『ゴー・ゴー・ナイアガラ』時代にリスナーから「あなたには悩みというものがないのですか?」というハガキが送られてきたという。
なお、作品はおおまかに分けると、メロディタイプと言われる歌もの、ノベルティタイプと言われるサウンド偏重ものの2種類に分かれる。
楽曲のマニアックさを語る一例として、ある人が大瀧に「あの曲は3つの曲からの剽窃ですね」と訊ねると彼は「その3つとあと2曲の5曲から出来てるけど、君は3曲しかわからなかったんだ」と言い返したというジョーク(山下達郎がしばしばラジオでする話)や伊藤銀次がレコーディングに参加した際、有名曲のフレーズを音符を逆にして弾くのを強要されて唖然としたという。
なお、以上の経緯から「渋谷系のように過去の作品のいいところをつまみ食いしながら楽曲を作っている」と思われがちだが、本人曰く「最終的には+αのインスピレーションがないと曲が完成しない」とのことで、『EACH TIME』のレコーディング期には既にそのインスピレーションが尽きかけていたという。
発言に関しても独特のジョークが多々入っているのが特徴。ふざけているようで真面目だったり、真面目なようでふざけている発言を淡々とするタイプの人間であり、単純に発言を文字起こししてはいけない人物だった。
特に有名なのが「2001年ナイアガラの旅」に纏わるものであり、1984年に「ミュージック・ステディ」の大滝詠一特集で「1988年に『ナイアガラトライアングル Vol.3』、1989年に『ナイアガラカレンダー '89(復刻版)』、1991年にはソロでの新作『1991』でレコード番号も1991を予約。
1994年には『ナイアガラトライアングル Vol.4』、2000年に『ナイアガラトライアングルVol.5』、2001年に再びソロの新作として『2001年ナイアガラの旅』を発表、以上を予定している」という発言である。この発言を真に受けて泣いたファンは数多い。
1990年代までは同様の発言を繰り返していたが、大瀧本人にその気は全くなく、山下達郎等にいざ追及される側になると「予定は未定だからね」「それより君の作品はどうなの?」とはぐらかしたり、新曲と称してドラムのカウント部分だけをレコーディングしたものを放送したりしていた。
♪ カナリア諸島にて / 大瀧詠一
Posted by 蛇足 鈍也 DONYA at 07:42│Comments(0)
│フォークとは言えないかも・・・