2015年11月28日
♪ 春雷 / ふきのとう
ふきのとう(FUKINOTOU)

山木康世と細坪基佳によるフォークデュオ。
1970年代のフォーク/ニューミュージックブームの牽引役となったグループのひとつ。ともに北海道出身。
1972年、北海学園大学にて山木康世と細坪基佳と他二名で、マッド・スライド・スリムを結成。
その後、山木康世と細坪基佳の二人でふきのとうの前身である、メロディーを結成。
NHK札幌放送局のテレビ番組に出演し、ふきのとうと名乗る。
1973年、コンテストに多数出場し、ヤマハ・ポピュラーソング・コンテストにて「夕暮れの街」で北海道大会入賞。
1974年、「白い冬」でデビュー。
以後「風来坊」「春雷」「やさしさとして想い出として」などがヒット。
ふきのとうの楽曲は、記録よりも記憶に残るという意味のヒット曲が多いのが特徴である。
全国コンサートツアーをコンスタントに続け、1978年には年間250本のコンサートを行った。
また、沖縄県で特に人気が高く、同じく1978年には沖縄限定シングル「ここは沖縄」を発売している。
二人ともに作詞・作曲をしリードボーカルもとるが、シングルでは山木が作った歌を細坪がメインに歌い、山木が3度上の1オクターブ下(つまり6度下)のハーモニーを重ねるという独特なパターンが主で、後述のように、山木はこのパターンこそがふきのとうであると考えていた。
1981年、ふきのとうのプライベートレーベル「Silverland」(シルバーランド)を設立。
その第1弾として、同年の5月21日にシングル「メロディー」とアルバム『D.S. ダルセーニョ』を発売した。
二人は相次いでソロアルバムを発表。ともに2枚ずつ制作している。
細坪は、風や雨を表現するのにアコースティック・ギターやストリングス、ピアノの音色を最大限に活用して「ふきのとう」ではできなかった細坪ワールドの奥行きを示し、山木は「ふきのとう」でできないことは「自分の楽曲の原点を示すこと」と考え、ハーモニーに頼らずに、自転車で感じる空気、友や母への想いを飾らずに音でスケッチして見せた。
全国でのコンサートはどこも盛況であったが、「春雷」以降、ヒットには恵まれず、山木と細坪の間には亀裂が入り始める。
背景には、楽曲・歌唱力双方で力をつけてきた細坪と、あくまで自分の曲を細坪が歌うことがふきのとうのスタイルである、とこだわった山木との考えの違いが大きくなっていったということがあった。
細坪は、アレンジ面で外部から第三者を招き、ふきのとうをより進化させたいという考えが強くなってきたため、細坪・山木双方の曲が両A面シングルとなるなど、関係修復は次第に難しくなり、グループ結成18年目で解散を決意するに至る。
1992年5月8日の北海道厚生年金会館で行われたコンサートツアー『ever last concert』を最後に、18年間続いたグループを解散。
ステージに登場した二人はまず、互いにがっちり手を握り合い、曲を次々に披露。
アンコールは2回を超えて、山木が「守衛のおじさんがいいって言ったから」と、コンサートは夜10時を過ぎても終わらなかった。
解散後、ふきのとうにとってのメモリアルイヤーなども含め、現在まで一度も再結成をしていない。
これに対して細坪は「お互いにやり残したことがまだある。だから再結成はまだない。」と話しており、山木も、「ないだろうなあ。もしやるとしたら、現役引退の最後の最後でしょう。」と語っている。
♪ 春雷 / ふきのとう

山木康世と細坪基佳によるフォークデュオ。
1970年代のフォーク/ニューミュージックブームの牽引役となったグループのひとつ。ともに北海道出身。
1972年、北海学園大学にて山木康世と細坪基佳と他二名で、マッド・スライド・スリムを結成。
その後、山木康世と細坪基佳の二人でふきのとうの前身である、メロディーを結成。
NHK札幌放送局のテレビ番組に出演し、ふきのとうと名乗る。
1973年、コンテストに多数出場し、ヤマハ・ポピュラーソング・コンテストにて「夕暮れの街」で北海道大会入賞。
1974年、「白い冬」でデビュー。
以後「風来坊」「春雷」「やさしさとして想い出として」などがヒット。
ふきのとうの楽曲は、記録よりも記憶に残るという意味のヒット曲が多いのが特徴である。
全国コンサートツアーをコンスタントに続け、1978年には年間250本のコンサートを行った。
また、沖縄県で特に人気が高く、同じく1978年には沖縄限定シングル「ここは沖縄」を発売している。
二人ともに作詞・作曲をしリードボーカルもとるが、シングルでは山木が作った歌を細坪がメインに歌い、山木が3度上の1オクターブ下(つまり6度下)のハーモニーを重ねるという独特なパターンが主で、後述のように、山木はこのパターンこそがふきのとうであると考えていた。
1981年、ふきのとうのプライベートレーベル「Silverland」(シルバーランド)を設立。
その第1弾として、同年の5月21日にシングル「メロディー」とアルバム『D.S. ダルセーニョ』を発売した。
二人は相次いでソロアルバムを発表。ともに2枚ずつ制作している。
細坪は、風や雨を表現するのにアコースティック・ギターやストリングス、ピアノの音色を最大限に活用して「ふきのとう」ではできなかった細坪ワールドの奥行きを示し、山木は「ふきのとう」でできないことは「自分の楽曲の原点を示すこと」と考え、ハーモニーに頼らずに、自転車で感じる空気、友や母への想いを飾らずに音でスケッチして見せた。
全国でのコンサートはどこも盛況であったが、「春雷」以降、ヒットには恵まれず、山木と細坪の間には亀裂が入り始める。
背景には、楽曲・歌唱力双方で力をつけてきた細坪と、あくまで自分の曲を細坪が歌うことがふきのとうのスタイルである、とこだわった山木との考えの違いが大きくなっていったということがあった。
細坪は、アレンジ面で外部から第三者を招き、ふきのとうをより進化させたいという考えが強くなってきたため、細坪・山木双方の曲が両A面シングルとなるなど、関係修復は次第に難しくなり、グループ結成18年目で解散を決意するに至る。
1992年5月8日の北海道厚生年金会館で行われたコンサートツアー『ever last concert』を最後に、18年間続いたグループを解散。
ステージに登場した二人はまず、互いにがっちり手を握り合い、曲を次々に披露。
アンコールは2回を超えて、山木が「守衛のおじさんがいいって言ったから」と、コンサートは夜10時を過ぎても終わらなかった。
解散後、ふきのとうにとってのメモリアルイヤーなども含め、現在まで一度も再結成をしていない。
これに対して細坪は「お互いにやり残したことがまだある。だから再結成はまだない。」と話しており、山木も、「ないだろうなあ。もしやるとしたら、現役引退の最後の最後でしょう。」と語っている。
♪ 春雷 / ふきのとう
Posted by 蛇足 鈍也 DONYA at 09:15│Comments(0)
│日本のフォークデュオ